中学バドミントン、「部活動」ありきの現行制度はおかしい

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バドミントン情報を届けるブログ「バドミントン・アーカイブ」の管理人スカラー(@badminton_crow)です。

2016年リオオリンピックは日本のバドミントンにとって「躍進」と呼べる大会だった。そしてその背景の1つとして、土壌であるジュニア指導が盛んに行われていることが挙げられる。特に小学生。

しかし、日本のバドミントン界には絶対に見逃してはいけない、重大な問題が残っている。この問題を放置しているせいで、多くのプレーヤーの芽を摘んでしまっている。それはバドミントン界にとって大きな損失だ。

その問題は何かというと、中学生になると有望なバドミントンプレーヤーが腐っていくケースが多すぎるということ。

育成に携わるバドミントン協会の人、バドミントン部の顧問をやってる教員のみなさん、そして中学生の子を持つ保護者の人たちは、他人ごとではないはずなので、これを読んで意見を寄せてほしい。

問題の所在

日本のバドミントン界は、朴柱奉さんをヘッドコーチに迎えて大きく躍進した。そして長年かけて日本バドミントン協会が種を巻いてきた「ジュニア育成」も着実に実を結んでいる。

しかし、中学校や高校のバドミントン界はまだまだ改善の余地がある。特に中学校の問題は深刻であり、現状では2つの層の子どもたちの受け皿しか用意されてない。

  • 公立校の部活動:中学校からなんとなく部活動をはじめる初心者組
  • 私立校の部活動:家庭が金銭的にも余裕があり、小学生の時点で都道府県でトップの成績を収めている一握りの有望選手

「初心者組」と「一握りの有望選手」の中間ぐらいの選手、すなわち「小学生のときから熱心にバドミントンをやっていて、これからも地元の公立校に通いながら一定のレベルで続けていきたい」という子たちもたくさんいる。

Photo by Chang Duong on Unsplash

こうした子供たちは 初心者組よりもバドミントンに対して熱心であり、かつ、人生をバドミントンだけに賭けているような 一握りの有望選手よりも絶対数が多い。すなわち、バドミントン界に今後定着してくれる重要な層であるにもかかわらず、残念ながらそういう子供たちの受け皿がまったく整備されていない。

中学生のバドミントン環境を取り巻く多くの問題を突き詰めていくと問題の本質が、中学バドミントン界が「学校の部活動」という枠でしか運営されていないという点にあることに気づく。順番に見ていこう。

部活動がなければ、試合にも出られない

中学生にとって最高峰の全国大会は「全中」である。この大会運営をやってるのは「中学校体育連盟」という組織だ。この制度の一番の問題は「中学校」という学校単位の枠でしか公式大会に出られないこと。

地元の中学校にバドミントン部が存在していないと、そもそも大会に出場することすらできない。

Photo by Christian Erfurt on Unsplash

バドミントン部がなくて試合に出られないから、中学校でバドミントンを続けることを諦める人もいる。バドミントン界に定着してくれるはずの人が、この制度のせいでバドミントン界から離脱しているのだ。

中には試合に出られないことを受け入れて、3年間を地域のジュニアチームですごす人もいる。しかし公式戦に出ることができない3年間、なにをモチベーションにすすめばいいのだろうか。伸び悩むのは目に見えている。

じゃあ私立に行けばいいって?行けるならいってるっつーの。想像力が足りてないわ。

中には桃田賢斗くんのように中学生になって富岡に一人で移り住むこともあるし、強豪の私立中学校が近くにあればそこへ子供を入学させる親もいる。

しかしすべての家庭に金銭的余裕があるわけじゃないし、近隣に強い私立中学校がないことだってザラにある。私立中学校は受け皿として一翼を担うことはできるけれど、私立中学校だけでは受け皿として不十分である。

部活動があっても、中学生には選択肢がない

進学した中学校にバドミントン部があるケースでも、問題は山積している。

右に倣え。出る杭は打たれる。「みんなと一緒」がジャスティスな全体主義。そんな中学生たちにとって「部活動をしない」という選択肢は取りにくいもの。だから「とりあえず部活入っとくかー」ぐらいの人って結構多いだろう。

中学校のバドミントン部では、そういう「とりあえず」な人たちと、バドミントンを熱心にがんばりたい人が混在している。強くなりたい人にとって、「とりあえず部活」程度の人と同じチームで練習するのは損失以外の何物でもない。

また、中学校の部活動は多くの子供たちが初めて「先輩」として権力を握る場である。初めて手にする権力は心地いい。権力を濫用する「先輩」が後を絶たない。それで人間関係で悩む子が出てくる。

Photo by Kat J on Unsplash

熱心なプレーヤーや有望なプレーヤーほど、1年早く生まれただけの「先輩」から煙たがれて、嫌がらせを受けて、バドミントン以外のところに注意が向いてしまう。 果たしてこれが健全な姿だろうか?わたしはそうは考えない。極めて不健全だ。

だからといって、中学生が外のチームの練習に参加することも難しいのが現状だ。

顧問の先生が「中学校の部活の練習にちゃんと来ている人を優先して試合に出します!いくら実力があっても、うちの練習休んでジュニアの練習にいってる奴は試合出さねーよ!」って吠えて、トラブルになるケースも耳にする。レアケースではなくて、本当によく聞く。

こうした理由から、しぶしぶ中学校の練習にも顔を出してるような子もたくさんいる。しかし、上のレベルを目指す人にとって「中学校の部活動」は妥協に妥協を重ねた選択肢でしかない。

  • モチベーションの低い連中と一緒に
  • 限られたコート数で
  • ボロボロのシャトルで
  • 戦時中みたいな縦社会のなかで

バドミントンをしなければならない。小学生の頃に有望だったプレーヤーが、中学生になって一気に劣化するケースを嫌というほど見てきた。

この問題の本質は、そうした環境を選ぶ権利が本人にないことにある。

Photo by Brendan Church on Unsplash

本人が自らの意志でその環境を選んだのであれば、「自分で選んだ道なんだからそこでがんばりなよ」って声をかけることもできる。たとえば小学生であれば所属チームを自由に選ぶことができるし、高校生であれば受験する高校を選ぶことができる。

しかし、中学生の場合は選択の余地すらない。 自分の住んでいる学校の校区にあるバドミントン部で活動するしかないのだ。

それでも「学校の部活動か、外部の練習に参加するか」を選べるならいいけれど、先述の通り、顧問の先生が「学校の部活動に来てる人を優先的に出場させる」という考え方の人だと、選択肢は実質的に用意されていない。公式戦に出るためには、しぶしぶ部活動に参加するしかないのである。

そもそも、わたしはこの考え方自体に同意できない。部活動に所属する生徒全員が熱心に参加しているなら「学校の部活動に来てる人を優先的に出場させる」という考え方も教育的観点からアリだと思うけれど、多くの場合生徒たちは「なんとなく目的意識もなく」部活動に来ているだけだ。

何の目的意識もない人間には試合の出場枠が用意されていて、強い目的意識をもっている人間には試合の出場枠が用意されていない。それはなぜなのか?それを正当化できる根拠は何か?あなたに答えられるだろうか。

もし中学校バドミントン部の顧問の先生がこれを読んでいるなら、「外の練習に行く」という選択肢をぜひとも用意してあげてほしい。

あなたが他の誰よりも子供たちを成長させてあげられる自信があるのなら話は別だけど、そうでないならバドミントンの技術的な部分の育成だけでもアウトソーシングすることは、立派な選択肢だとわたしは思います。

「外の練習に行く」という選択肢を用意してあげるだけで、子供たちも熱心な保護者も満足して、頭を悩ませるような対立が起きることも劇的に少なくなるだろう。

部活動は、顧問の先生に依拠している

中学校のバドミントン界が部活動に大きく頼っている以上、バドミントンが「顧問の先生」単位でしか根付かないことも大きな問題だ。

自分の友人や親族にも教員をやっている人がいるけれど、部活動のために土日に出勤しても手当なんて雀の涙。超絶ブラック業界だ。 自分が経験のある競技で、自分が好きで顧問をやってるならいいだろう。しかしまったく関係ない部活動の顧問になった日には、先生だって地獄である。

そんな状況下でさえ「未経験者だけど、バドミントン部の顧問になったから新しくバドミントンの勉強しました!」って先生を身近に何人か知っている。

Photo by Austin Distel on Unsplash

非常に運の良いことに、わたしの中学校の顧問の先生もそうだった。ほんとうに頭の下がる思いです。でもそういう人はごく一部しかいない。

顧問の先生の多大なる努力によってその学校が「強豪校」に仕立て上げたとしても、その先生が転勤となればあっという間にその学校のバドミントン部は弱体化してしまう。かわりに、その先生の転勤先が次の「強豪校」へと変貌する。

バドミントンというスポーツが、ジュニアチームのように「地域」単位でもなければ、強豪私立校のように「学校」単位でもなく、「顧問の先生」単位で根付く構造は、どう考えてもおかしい。

解決案

これらの問題を内包した現行制度が、果たして理想的なジュニア育成の環境と言えるでしょうか? 育成に携わる日本バドミントン協会のみなさん、どう思いますか?

現行の中学バドミントン界の制度は、各家庭の自助努力に大きく依存してきた。この現行制度のせいでバドミントン界は一体どれほどの損失を出しているか。考えるだけでも恐ろしい。クソ遅れた制度のせいで摘まれていった有望なプレーヤーの芽はどれほどあったろう。

わたしはこうした強い問題意識に立脚してこの記事を書いている。この現行制度を絶対に変えなければならない。ここからは、問題に対する解決案を書かせてもらいたい。

「学校」単位ありきの大会運営を見直す

問題に対する解決案の1つ目は、学校単位でしか公式戦にエントリーできない現行制度を変えることだ。

この記事を通して、大きく3つの問題を順番に見てきた。

  • 学校に部活動がなくてバドミントンを続けられない人がいる
  • しぶしぶレベルの低い部活動に参加している人がいる
  • 顧問の先生の異動によって部活動がガラッと変わってしまう

これら全ての問題は「学校の部活動に所属していないと、全中予選に出場することができない」ことに起因する。それならば、学校の部活動以外から全国大会を目指せるようにするだけで、問題は大きく改善する。

例えばテニス。

この年代のテニスの最高峰の大会である全日本ジュニアの組み合わせを見ていると、中学校所属の人なんかほとんどいない。だいたいどこかのテニススクールなどの所属だ。つまりこの年齢のトッププレイヤーは中学校の部活動なんかに所属しないということ。

例えば野球。

中学生の野球の全国大会で最もレベルが高いのは、「全中」ではなくて「シニア」などの全国大会だ。軟式野球ではなく硬式野球のほうにエリートが集まっている。学校ではなくシニアのチームから出場している。

Photo by Emily Morter on Unsplash

ではバドミントンは?

バドミントンだって、中学校最高峰の大会に「学校の部活動」以外からエントリーできるようにしてしまえばいい。

中学校最高峰の大会として「全中」という大会は残してもいいかもしれないけれど、「ジュニア」「地域のチーム」などからも参加できるようにしてみてはどうだろうか。

そもそも考えてみてほしいんだけど、どこかの中学校に在籍さえしていればそれだけで「中学生」なのだ。そして「中学生」でありさえすれば、中学校の大会への参加資格が認められるべきではないだろうか。

自分の通っている学校の部活動に所属しているかどうかなんて、瑣末な問題だ。「中学生」でありさえすれば、学校の部活動から出場してもいいし、所属ジュニアから出場してもいいし、地域のチームから出場してもいい。そういう柔軟な大会にするといい。

それができないと言うならば、全中などぶっ壊して(あるいは大会の権威を失墜させて)、新しく「中学校最高峰の大会」を作るべきだ。

地域で育てるという発想を持つ

もう1つ違う方向性での解決策は、「地域でバドミントン選手を育てる」という発想を持つことだ。

あなたは「総合型地域スポーツクラブ」というものをご存知だろうか。 スポーツ選手の育成に携わっていて、あるいは中学校の部活動に関わっていて、この名前を聞いたことすらない人は圧倒的勉強不足だ。

アンテナを張っていなさすぎて話にならないので、とりあえずスポーツ庁の広報Webマガジンでも読んでくれ↓↓

参考 「部活=学校」である必要はない!?地域が主体となって子供たちのニーズに応える 「総合型地域スポーツクラブ」視察レポートスポーツ庁 広報webマガジン

↑のスポーツ庁の広報にもあるように、そもそも学校の部活動が顧問の先生ありきで運営されているから、いろんな問題が起きている。現行制度は中学校の教員の「善意」に部活動を丸投げしてきた。

しかし、少し考えてみると 別に学校の先生が専門外のスポーツを教えなければならない必然性は全くない。 餅は餅屋。子供たちを地域ぐるみで育てるという発想を持つべきだ。

Photo by NeONBRAND on Unsplash

「地域で育った選手」の最たる例が山口茜選手だろう。福井県勝山市から彼女というプレーヤーが出てきたのは、地域ぐるみでの育成がうまくいったからにほかならない。

別にわたしは部活動の役割を否定するつもりはない。必要であれば部活動とも連携しながら、多世代による地域コミュニティ(レベルの高い環境でバドミントンをプレーできる場)を生み出して、そのなかで有望な中学生を育てていけばいいと考えている。

そうすることで、3つの効用がある。

第一に、中学校の教員は休日に興味のない部活動の顧問という苦行をやらずにすむ。教員にだってプライベートの時間や休養は必要だ。当たり前の話である。

第二に、顧問の先生が転勤になっても指導体制を継続させられる。継続した指導は、長い目で見るとその地域にバドミントンを根付かせることにもつながる。

第三に、青春時代をバドミントン一筋で生きてきた人たちの活動場所を提供し、プレースキルの継承が望める。

中学、高校、そして実業団と、日本のトッププレーヤーだった人が、せっかく得たプレースキルを生かさずにトラックの運転手やって腐ってたりパチンコに明け暮れていたりするのを見ると本当にやりきれない思いがあるのだ。これは身近な話。

Photo by Maik Fischer on Unsplash
  • 地域の体育館に行けば、熱心な中学生と、熱心な高校生や大人が活発にバドミントンに取り組んでいる
  • 中学生も大人も「やりがい」を感じてエネルギーを注ぐことができる
  • 現代社会で欠落しがちな「多世代とのコミュニケーション」ができるため、中学生は人間的にも育っていく
  • もちろんバドミントンのレベルも向上する

そんなふうに地域でバドミントンが活発に行われる姿を、わたしは描いています。

おわりに

「学校」単位ありきのスポーツなんて、戦前戦後のパラダイムそのまま引き継いでるようなもの。

もう平成を通り越して令和だというのに、いつまで昭和の体制引きずっているのだろう。

あのね。もう2019年ですよ。パラダイム・シフトの時期はとっくに来てると思います。

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